我々オーストラリア人が恥ずかしくも無視してきた「戦時性奴隷制」

Our forgotten shame of wartime sex slavery (The Sydney Morning Herald - June 23, 2007)


 オーストラリア国立大学で発行された論文で、同大学太平洋史学科名誉教授ハンス・ネルソン博士は、オーストラリア人は、偶然か意図的にかはわからないが、「慰安婦」に関する議論にラバウルの証拠を使ってこなかった、と語った。

 ネルソン博士が収集した証拠は、日本人軍医の手記、ラバウルに従軍していた日本兵の回想、朝鮮人慰安婦の証言、ココダトレイルで捕虜になった日本兵の供述、ニューギニア人捕虜およびオーストラリア人捕虜の供述などである。

 今回、"ラバウルで、二年間、"consolation units(仮訳:慰安部隊)"が活動していたことに言及した記事はオーストラリアでは出なかった。

 当時、ニューギニアはオーストラリアが委任統治しており、ラバウルはその行政の中心地だった。1942年1月、日本軍は、ラバウルを1日で占領し、約1,000人を捕虜にし、トール・プランテーションでは160人を虐殺した。1945年のラバウル再占領前後、オーストラリア人は、自国民捕虜に起きた出来事を知りたがったため、売春施設にそれほどの関心をもつことはなかったが、それは別として、日本人捕虜たちはラバウルに最高20軒の売春施設があったとしており、文書によって、時間、料金およびルールが定められていた。
 ネルソン博士はこう語る。「ラバウルにおけるこの犯罪の大きさを算出することは困難である。慰安婦になることを承知の上、自分の意思で、ラバウルに行くことを選択した女性が何人いるかを知ることは不可能だが、いたとしても少数だろう。2,000人以上の女性が騙されて最も過酷な形で強制売春されられたのが事実だろう、兵士の要求に昼も夜も応えさせられたのだ。
 多くの慰安婦が負傷し感染症に罹患した一方で、生きて帰国できた者はほとんどいなかった。日本兵の性欲を満たすためにラバウルに送り込まれた女性の死亡率は、第二次世界大戦を戦ったどのオーストラリア部隊の死亡率より高かったと思われる。」


ネルソン博士の論文(GMcC氏の紹介文つきで、"Japan Focus"に掲載されたもの)
The New Guinea Comfort Women, Japan and the Australian Connection: out of the shadows
Hank Nelson Japan Focus

 
 
(緊急追加)