台湾国会で「慰安婦」謝罪決議案が可決

(鋭意追記中)

台湾、慰安婦で日本に謝罪要求 立法院が決議(47 NEWS - 2008年11月11日)

台北11日共同】台湾の立法院(国会)は11日、第2次大戦中の旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐって、日本政府による公式謝罪と被害者への賠償などを求める決議案を全会一致で採択した。

 決議案は超党派の立法委員(国会議員)らが提出。同委員の1人は「決議が現在の日台関係に影響するとは思わない。慰安婦だった女性はいずれも高齢で、1日も早く日本政府に謝罪してほしい」と述べた。

 決議に法的な拘束力はないが、米下院が昨年7月、日本政府に公式謝罪を求める決議を可決したほか、カナダや欧州連合(EU)、韓国が同様の決議を採択している。


英語ニュースが幾つかヒットしたので、それらを引用・翻訳しながら、上の記事を補足してみたい。

Legislative Yuan ratifies comfort women resolution (Central News Agency, Taiwan - November 11, 2008)

Taiwan's resolution asked the Japanese government to "formally recognize, apologize for and accept the historical responsibility of its army's sex-slave system during World War II with a clear attitude."
台湾の決議は、日本政府が『第二次世界大戦を通して行なわれた日本軍の性奴隷制度について、明確な態度で、公式に認め、謝罪し、歴史上の責任を受け入れる』よう日本政府に求めている。


It also insisted that Japan "apologize to and indemnify the survivors, in order to restore the victims' reputation and dignity."
また、日本政府が『被害者たちの面目と尊厳を回復するため、サバイバーたちに謝罪および補償する』よう求めてもいる。


The resolution, proposed jointly by four legislators from the ruling Kuomintang and opposition Democratic Progressive Party with the support of 23 other legislators, also requests that the Japanese government educate present and future generations on Japan's wartime practices with accurate historical facts.
この決議は、与党国民党と野党民進党の国会議員4名が、他の23名の国会議員の支持を得て、共同で提出したもので、日本政府が日本の戦争行為について正確な歴史上の事実を現世代と将来の世代に教育するようにも求めている。


Wu Hsiu-mei, a 92-year-old former comfort woman, said at a press conference she was glad that the Taiwanese government had acted as a voice for the comfort women, adding that during more than 10 years of protests, the Japanese government has always pretended to be deaf and dumb.
92歳の元『慰安婦』である呉秀妹さんは、台湾政府が自国の慰安婦たちを支援する声を発してくれたことを嬉しく思うとともに、10年以上に渡る抗議に対し、日本政府は常に耳を貸さず、応えることもしてこなかったと記者会見で述べた。


"Now that the resolution is adopted, we hope that the historical truth can be recorded accurately in history textbooks, " said Cynthia Kao, executive director of the Taipei Women's Rescue Foundation (TWRF).
台北市婦女救援基金會(TWRF)のシンシア・カオ会長は『この決議案が採択されたことを考慮し、歴史上の事実が歴史教科書に正確に記述されるよう望みます。』と述べた。


According to the foundation, existing textbooks have only limited and vague passages on comfort women.
TWRFによると、現在の歴史教科書は、「慰安婦」についての記述はごく限られており、曖昧であるとのことだ。


Legislative Speaker Wang Jin-pyng said Monday that comfort women are an existing fact, and the Japanese court's unfavorable verdict on the comfort women issue was "unjust."
月曜日、王金平国会議長は「慰安婦」は実際に起きた事実であり、日本の法廷が台湾の「慰安婦」に対し下した不利な判決は『公正にもとる』と述べた。


Nine comfort women in Taiwan filed a lawsuit against the Japanese government in 1999, but it was dismissed by the Japanese supreme court in 2005.
1999年に、台湾の「慰安婦」9名が日本政府に対して訴訟を起こしたが、日本の最高裁判所は、2005年に、その訴訟を棄却した。


(略)


During World War II, the Japanese army kidnapped or abducted at least 400,000 women in China, Korea, Taiwan, Indonesia and the Philippines to satisfy its soldiers' sexual needs.
第二次世界大戦を通して、日本軍は、日本兵の性的欲求を充足させる目的で、中国・朝鮮・台湾・インドネシア・フィリピンにおいて、40万人以上の女性を誘拐もしくは拉致した。


In Taiwan, the estimated number of victims varies from 1,200 to 2,000, but only 58 have been confirmed by the foundation, and now only 20, whose average age is 85, are still alive.
台湾では、被害者の人数は1,200〜2,000名と推定されているが、これまでにTWRFが認定した人数はわずか58名であり、存命中の女性の平均年齢は85歳で、その人数はわずか20名である。

Taiwan demands Japanese apology, compensation for comfort women (The Earth Times - November 11, 2008)

The topic has long been a taboo subject, and many victims kept silent out of shame.
慰安婦」の話題は長い間ずっとタブーとされており、多くの被害者が恥ずかしさから口を閉ざしてきた。


"We hope Japan will hurry up in offering apologies and compensation to the former comfort women because if it keeps delaying, they will not live to receive them," said Lai Tsai-er, a foundation staff member.
台北市婦女救援基金會のスタッフ、Lai Tsai-er さんは、『日本政府が早急に元「慰安婦」の方々に謝罪し、賠償するよう望んでいます。これ以上先延ばしにされると、彼女たちは生きて謝罪や賠償を手にすることはできません。』と語った。


(略)


In 1995, Japan established a private fund to compensate the women. Some accepted compensation while others rejected it, saying it was an insult while vowing to carry on the fight for a formal apology and compensation.
1995年に、日本政府は、元「慰安婦」に対して補償するために民間基金を設立した。補償金を受け取った「慰安婦」たちもいたが、一方で、そのお金は侮辱であり、公式謝罪と公的補償を勝ち取る闘いを続けると明言し、受け取りを拒否した元「慰安婦」たちもいた。


None of Taiwan's former comfort women have accepted compensation from the private fund. They live on a 15,000-Taiwan-dollar (460-US-dollar) monthly subsidy from the Taiwan government and receive free medical care.
台湾人元「慰安婦」は誰一人として、この民間基金からの補償金を受け取っていない。彼女たちは月15,000 台湾ドル(460 米ドル)の政府補助金で生活し、医療は無料である。

Taiwan OK's bill seeking Japan "comfort women" apology (Reuters India - November 11, 2008)

"We still need to work hard at getting the justice and respect for these women," said Hsu Ming-mei, office manager for legislator Yang Lee-huan, a co-sponsor of the bill. Those women, she said, "will be happy the government is willing to help them."
決議案の共同提案者であるYang Lee-huan 議員の事務所長であるHsu Ming-meiさんは『私たちは、台湾人元「慰安婦」の方々に対する正義と敬意を勝ち取るためにこれからも尽力しなければなりません。台湾政府が進んで彼女たちを支援すれば、(彼女たち元「慰安婦」も)きっと喜んでくださるでしょう。』と語った。


"Comfort women" is a Japanese euphemism for the estimated 200,000 women forced to provide sex for Japan's soldiers at battle-zone brothels during World War Two. About 50 Taiwan women worked in sex slavery, Hsu said, and 20 are still alive.
慰安婦(comfort women)」とは、第二次世界大戦を通して、戦闘地帯に設置された売春施設で日本兵にセックスをするよう強制された推定20万人の女性たちを表す日本語の婉曲表現である。Hsu さんによると、性奴隷として使役された台湾人女性は約50名で、20名が存命しているとのことである。


Japan set up the Asian Women's Fund in the 1990s to compensate former sex slaves. It has already apologised to Taiwan, said an official in Tokyo's de facto embassy in Taipei.
日本政府は1990年代に元性奴隷たちへの補償を行なうためにアジア女性基金を設立した。台北にある事実上の日本大使館の一職員は、日本政府はすでに台湾に謝罪していると語った。


"The past is the past, and the Japanese government has given nobility and respect to these women," the official said.
この職員はまた『過去のことをとやかく言ってもしょうがありません。それに、日本政府は、元「慰安婦」の方々を讃え、敬意を表しています。』と述べた。


(略)


Under the KMT, which fought Japan in World War Two when it ruled all of China, Taiwan recalled an envoy from Japan after a boat collision near a group of disputed islands in June, and this month it rebutted a Japanese air force chief of staff's comment that Tokyo was not a World War Two aggressor.
日本が中国全土を支配した第二次世界大戦で日本と戦った国民党政権下にある台湾は、6月に係争中の島々の近くで船舶衝突事故が起きた際に日本から大使を召還したが、今月に入って第二次世界大戦の日本は侵略国家ではなかったという日本の航空自衛隊幕僚長の発言に反発し、再び大使を召還した。


つづいて、台湾人元『慰安婦』について手元にある書籍から引用したい(鋭意追加予定)

ここまでわかった!日本軍「慰安婦」制度

ここまでわかった!日本軍「慰安婦」制度

 次に、台湾からの徴集ですが、台湾の場合は朝鮮と重なる部分と、台湾独自の特徴があります。
 一つには、盧満妹(ル・マンメイ)さんや黄阿桃(ホァン・アタオ)さんのように看護婦の仕事とか炊事の仕事だと言われたり、蘇寅嬌(スゥ・インジャオ)さんのように働き口があるとか、高賓珠(ガオ・バァオチ)さんのように日本軍に奉仕活動をすると言われたなど、朝鮮からの連行と同様、詐欺的連行が多く見られます。この場合もやはり、貧困層の女性がターゲットにされています。また、李淳(リ・チュン)さんのように区役所の仕事に応募して慰安所に連行されたといった役場が関与したケースや、鄭陳桃(タン・チェンタオ)さんのように警察に学校に行く途中で連行された拉致的な連行もありました。
 台湾においてもやはり満21歳未満の未成年の女性の連行が多かったのですが、イワル・タナハさんのように13歳という若年で連行された女性もいます。イワル・タナハさんやイアン・アパイさん、トヨ・カゲさんなど原住民族の女性の場合、巡査に部隊の作業だと集められ、その後「慰安婦」にされたケースが複数見られます。漢民族の女性は国外に移送されたケースが多く、現住民族の女性の場合、日本軍の部隊の作業だと言われて地元の部隊で「慰安婦」にされたのも特徴の一つです。


(56〜57ページ)

台湾総督府と慰安婦

台湾総督府と慰安婦

 1920年代、台湾総督府は日本人の海外における経済力を高めることを目的として、海外渡航管理の簡略化を打ち出し、日本人および台湾人が中国大陸および南方で経済活動を行なうことを奨励した。日中戦争勃発前後、台湾総督府には武官を専任するようになった。こうした武官たちは積極的に南進政策を推進し、日本軍占領地の治安維持および経済建設に協力していった。そのため、海外渡航管理のさらなる簡略化が進められ、それに伴い多くの日本人および台湾人が日本軍占領地へと赴き、現地の産業経済活動に参加した。台湾における花柳界も、こうした時代背景により華南地区への市場拡大に乗り出した。こうした動きと並行して、日本軍は軍人の現地婦女への強姦、性病の蔓延、情報漏れを防止し士気を高める等を目的に、軍人および軍関係者専用の「慰安所」を設置していった。
 こうして生まれ出た「慰安所」の建設過程について述べれば、日本軍政統治下における常設型慰安所の場合、土地の選定、建設費用の準備、建築材料の運輸、建築設備についての交渉とその設立までには時間がかかり、急を要する日本軍の需要の多さに追いつけるものではなかった。そのため台湾島内外での「慰安所」では、建物には「慰安所」と掲げていても、民衆が想像する設備の整った娯楽場所ではなく、料理店、強制的に立ち退かせた当地民衆の自宅、洞穴などを、軍人の性的欲求を満たす「慰安所」として利用したものであった。各地に設置された慰安所は外見や使用目的が多用であり、合法化されていた娼妓業のように営業地区および営業目的を限定したものではなく、いわば日本軍がいつでもどこでも利用できる私娼館的な存在であった
 また、日本軍占領地区では、統括的な行政機構による治安維持が有効的に施行されておらず、行政権濫用防止の点から、各軍隊ごとに占領地区の治安を維持する必要に迫られていた。そのため、「慰安所」の規定も各部隊ごとに自由に制定され、慰安所ごとに違ったものとなっている。ただし、ここで特記すべきは、こうした慰安所の規定とは使用者である軍人および軍関係者を保護するものであり、従業員としての慰安婦たちの基本的人権は無視されていた


(108〜109ページ。強調は引用者、以下同じ。)

 近代史における戦争とは軍事戦であると同時に一種の経済戦でもあった。戦時の日本企業は、帝国の戦力を高めるために政府の打ち出した生産力拡大政策に協力することを余儀なくされたが、その一環として国策会社が多数設立された。台湾総督府が設立資金の半分を出資した台拓*1総督府の代理として南進政策を推進する役割を担った大企業であった。台拓およびその関係者はインテリで、その多くが政界もしくは経済界の出身であったことから、専門的な知識を持ち豊富な経験を兼ね備えた優秀な人材であった。さらに彼らを通じて広められた広範囲に及ぶ企業ネットワークから、特殊産業の独占権利を獲得することが容易であった。その結果、台拓は巨額の営業利益を手にすることができたのである。
 その名のとおり、国策会社の使命とは政府の行う国策に沿った営業活動であり、日本軍占領地で必要とされた軍需事業の中でも慰安所事業は重要な位置を占めていた。そのため台拓も海南島での慰安所建設に参加し、資金の融資や日本人花柳業者の海南島への渡航手配を請け負っていた。しかし万一台拓が慰安所事業に失敗した場合、国策会社としての名声と尊厳を損なうおそれがあるために、こうした投資は台拓が資本金を出して設立した福大公司を通じて業者への融資を行い、急を要する日本軍慰安婦の需要を満たしていた


(137ページ)

 日中戦争の戦局の拡大に伴い、日本政府が投入する兵力、労働力、物資は日に日に増加し、軍事費用も膨大なものとなっていったため、各方面で物資の供給が追いつかず日本全土だけでなく植民地からも労働力をかり出さざるをえない状況となった。台湾総督府の代理として福建の日本軍占領地区で国策を進めていた福大公司は台拓の投資により設立された企業であり、福建の経済活動を統制するという特殊任務を担っていた。福大はその幅広い存分に使いこなし軍部や官僚の信頼と支持を得て特殊事業の経営を独占し、慰安所事業へも積極的に参与していった
 ここで特記すべきことは、福大が提供した営業資本は福建、広東での慰安所解説を任された日本人業者へ渡っており、ここで慰安所建設を行っていた業者は本業が花柳業でない人物であり、台湾での戸籍内にも慰安婦の対象となるような若い女性は寄留が記載されていないことである。こうした業者は日本軍占領地区で営業活動を行っていることから、日本軍や現地当局および台湾総督府からの支援を頼りしていたと考えられる。しかし、戦時中は慰安所事業を取り締まる法令そのものが存在しなかった。にもかかわらず、日本軍および日本政府が業者に協力を呼びかけ、国策会社およびその投資会社が資金を提供し、民間業者名義で各種手段を使って慰安婦募集を行うという・・・組織的な協力体制がとられた。こうした国家権力が中心となった分業体制がなければ、日本軍占領地区で民間業者が迅速に大量に慰安所を開設することは不可能だったのである。


(168〜169ページ)

 日本外務省所蔵の統計資料によると、1938年11月から1939年12月までの約1年間に中国大陸の戦場へ渡った台湾人慰安婦は385名である。この1年間の数字から日中戦争および太平洋戦争中に慰安婦となった台湾人女性の数を推算してみると約数千名いたであろうと思われる*2。台湾元慰安婦についてのこれまでの研究は、資料が意図的に破棄されており、さらに被害者である元慰安婦の多くがすでに他界している、もしくは健康的に優れない、過去を正視しにくい、家族に知られたくない、社会的な偏見などの理由からあまり成果が出ていないのが現状である。台湾で「慰安婦」問題を重視し支持するようになったのは、1992年2月に吉見義明中央大学教授および伊東秀子衆議院議員防衛庁研究所の図書館で軍部が「台湾土人」慰安婦をボルネオへ派遣するよう求めた関係文書を発見したことを契機に、その後「台北市婦女救援基金会」(以下、婦援会と略記)による申請ダイヤルが開設されたことに始まる。同年3月には台湾外交部が「台籍慰安婦専案小組(班)」を設立させ、婦援会に元慰安婦の調査と確認作業を委託した。婦援会は申請ダイヤルによって元慰安婦であったことを告白した約90名余りから一部の病死者と個人的理由により申請を放棄した人を除いた68名の台湾人漢族女性を訪問し、そのうちの48名を元慰安婦と認定した。婦援会が直接訪問した中には17名の原住民も含まれており、そのうちの12名が元慰安婦であったと確認された。


(207〜208ページ)

 まずは台湾女性が慰安婦となった過程であるが、その背景として外的要因 (push)、人的要因 (pull)、組織化された募集体制の3つがあげられよう。
 第1の外的要因だが、家庭的環境に恵まれていない貧困な生活を送っていた台湾女性は、その経済的理由から家計を助けるために収入を得ることが必要であり、海外での仕事をせざるをえない状況に追い込まれていた。第2に人的要因だが、斡旋業者は家計を助けるためにどうしても働かざるをえない貧しい家庭の女性達の願いを逆手に取り、簡単な仕事、高収入、短期就業を謳い文句として募集を行った。そして同郷出身者や友人、同僚などの人脈を利用することで相手に安心感や連帯感を与えた。社会的経験のない、簡単に他人を信用してしまう無垢な女性たちが、こうした慰安所営業者のわなにはまってしまったのである。3つ目の要素としては台湾総督府の責任があげられるであろう。・・・慰安所事業関係者は直接・間接的に官僚との親密な関係を築いた人物であり、台湾総督府もこうした慰安所慰安婦の実例を知りながらそれを取り締まる法令を設定しなかった。そして、軍部、接客業者、斡旋業者、ときには現地の警察機構を連携させ、現地の家庭状況を充分把握したうえで、貧しい家庭で育った女性を誘い出すべく組織的に慰安婦を募集し、さらに正式な海外への渡航手続きを経ていない台湾女性の渡航を問う胸苦当局が黙視していた。このように日本軍の各占領地での慰安婦需要に対応するために台湾総督府が駆使した慰安婦業務への分担作業が、慰安婦事業の成否を分ける重要任務であったと思われる*3
 次に台湾元慰安婦の傷跡についてまとめると、当時の爆撃による傷跡、過度の性行為による生殖能力の喪失、流産、子女の夭逝、性病予防のための薬による副作用、伝染病、酔ったり機嫌が悪い軍人から殴られたことなどを指摘できる。戦地から生還した彼女たちは、生殖機能を失ったことから婚姻の断念、日本軍人との間に生まれた私生子の養育や、過去を知られたことによる離婚などを経験している。彼女たちにとって慰安婦であったという過去は拭い去ることのできない汚点であり、家族や世間に露見し後ろ指を指されることを恐れ、自分の感情を押し殺し、交流をできるだけ控え、精神的な苦痛を生み出す要因となっている。


(234〜235ページ)

*1:引用者注:台湾拓殖株式会社の略

*2:女性のためのアジア平和国民基金『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第一巻(東京:龍渓書舎、1997年)171〜213、221〜251、257〜297、301〜337、355〜401、407〜430頁

*3:日本本土での慰安婦募集の際にも軍部が適切な斡旋業者を選定するために現地の憲兵や警察と連絡を取り合うよう指示している。昭和13年(1938年)3月4日兵務課、「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」、前掲女性のためのアジア平和国民基金『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第二巻に収録、5〜7頁