『強制連行』について整理する


以前から不思議に思ってたのだけど、強制でない『連行』などないのになぜ『強制連行』って聞いただけで、なんとなくわかったような気になるのだろう?

『強制連行』という言葉は、1965年に朴慶植氏が著した『朝鮮人強制連行の記録』から広まっていった表現と言われている。
以下、『強制連行』の定義について、2つほど引用してみる。

朝鮮人強制連行真相調査団」による『強制連行』の定義

 一、強制連行とは


 朝鮮人強制連行とは、日本が侵略戦争を遂行するために国家総動員法に基づいて、一九三九年から実施された労務動員計画と国民動員計画による朝鮮本土からの連行、次いで国民徴用令による日本国からの労務動員、さらには軍人・軍属・女子挺身隊・「慰安婦」としての戦時動員、これら全てを包括するものです。
 


洪祥進(朝鮮人強制連行真相調査団)『朝鮮人強制連行・強制労働』(国際公聴会実行委員会編『世界に問われる日本の戦後処理 (アジアの声)』、東方出版、1993年、124〜125ページ)

山田昭次氏による『強制連行』の定義(解説)

 今日、戦時下の朝鮮人強制連行といわれるものは、かなり広範囲な内容を指しています。まず労務動員を挙げることができます。朝鮮人強制連行の研究も労務動員の研究から始まりました。この労務動員にも、いくつかの種類があります。


 第1は、1938年4月1日公布、同年5月5日施行の「国家総動員法」に基づく「労務動員実施計画」によって、1939年から1945年にかけて「募集」、「官斡旋」、「徴用」という法の形式で朝鮮から日本へ朝鮮人を連行した労務動員です。


 第2は、在日朝鮮人に対する1939年7月8日公布の「国民徴用令」による労務動員です。これは1942年10月に初めて行われましたが、以後については不明です。


 第3は、官斡旋や徴用による軍要員(軍属、軍夫など)としての朝鮮内部、日本、「満州」、中国、南方等への動員です。これは実質的には労務動員と考えてよいでしょう。


 第4は「女子挺身隊」の動員です。法的には1944年8月23日公布、同日施行の「女子挺身勤労動員令」によります。しかし、実質的には「女子挺身隊」の日本への送出は同令施行以前から行われていました。


 今日では朝鮮人強制連行は、上記の労務動員以外に志願兵制度や徴兵制度による兵力動員、それから軍や炭鉱、鉱山等事業所のいわゆる「慰安婦」、つまり性的奴隷としての女子動員まで含めて考えられるようになりました。


山田昭次『戦時下の朝鮮人労務動員』−強制連行、強制労働、民族差別(ICJ国際セミナー東京委員会編『裁かれるニッポン―戦時奴隷制 日本軍「慰安婦」・強制労働をめぐって』、日本評論社、1996年、168〜169ページ)


以上から次のようなことが言えるのではないか。

  1. 『強制連行』とは、暴力による拉致のみではなく、国策または戦争の遂行策として強制的に労務に動員されたことを指している。
  2. 『強制連行』は男子の労務動員について述べたものであったが、その後、あらたな事実が明らかになる中で、女子挺身隊、「慰安婦」などにも敷衍して適応されている。


男子の『強制連行』の定義を、女子の『強制連行』の定義に当てはめるのは、しごく自然なことで、『慰安婦強制連行はなかった』と言うこと自体がおよそ的外れな論である。ましてや官憲や軍人による「暴力を用いた拉致」があったかどうかとは別の問題である(しかも、実際にそういう例も多数あったことが明らかになっている)。


日本政府も男子の『強制連行』も女子の『強制連行』も、共に当時の国策であり、強制的なものであったことを認めている。女子の「慰安婦」の場合は、言わずと知れた『河野談話』であるが、「女子挺身隊*1」について国の責任を明確な形では認めていない。

140-参-予算委員会-8号 平成09年03月12日

○政府委員(辻村哲夫君) 先生のお尋ねは、強制連行というキャプションのもとに、このときの写真が、強制連行は御案内のとおり官あっせんあるいは徴用という形で行われているわけでございますが、その前の募集の段階も含めて強制連行として位置づけることはいかがかというお尋ねかと理解するわけでございます。
 さまざまな意見があろうかと思いますが、一般的に強制連行は国家的な動員計画のもとで人々の労務動員が行われたわけでございまして、募集という段階におきましても、これは決してまさに任意の応募ということではなく、国家の動員計画のもとにおいての動員ということで自由意思ではなかったという評価が学説等におきましては一般的に行われているわけでございます。
 そのような学説状況を踏まえまして、教科書検定審議会におきましては、この強制連行というもとにおきましても、この募集段階の写真につきましてもこれを許容したという経緯でございます。


小山孝雄君 訂正前の写真、このキャプションには「連行」と、こう書いてあります。
 大臣、連行というのはこのページでいきましたら強制連行ですよ。強制連行、昭和十四年、五年のころにはまだそんなあれはないです。法令上もそのような法令はとり行われていないわけであります。
 労働省、来ておりますか。――国家総動員体制下における徴用に至るまでの経緯を明らかにしていただきます。この国家総動員法の所管はかつては厚生省の労務局、それを引き継いだのが安定局ということで、その点を明らかにしていただきます。


○政府委員(征矢紀臣君) ただいまお尋ねの件でございますが、徴用と申しますのは、昭和十三年に制定されました国家総動員法第四条に基づきます国民徴用令、これにより実施された勤労動員であるというふうに承知いたしております。
 募集、官あっせんにつきましては詳細は明らかではございませんが、国民徴用令第二条におきまして、「徴用ハ特別ノ事由アル場合ノ外職業紹介所ノ職業紹介其ノ他募集ノ方法二依リ所要ノ人員ヲ得ラレザル場合二限リ之ヲ行フモノトス」というふうにされていることから、徴用の前段階として文書、募集人などによる募集や、あるいは職業紹介所の職業紹介による官あっせんが行われ、それでも必要な労働者が集められない場合に徴用が行われたものというふうに考えております。
 実際の朝鮮半島への国民徴用令の適用等の経緯につきましては、私どもの調べた限りにおきましては、募集については昭和十四年九月に、また官あっせんについては昭和十七年三月に、さらに徴用につきましては昭和十九年三月に開始されたというふうに承知いたしております。


小山孝雄君 今お答えいただきましたように募集、官あっせん、そして徴用並びに朝鮮半島地域への徴用令の適用は昭和十九年と、こういう御説明でございますが、明らかにこの写真は「昭和十四年」と、こう書いてありますので、実際に写真の所有者にお聞きしましたところ、そのとおりでございました。
 こういったページに訂正後のこの写真もふさわしくないと私は思いますが、いかがですか。

○政府委員(辻村哲夫君) 先ほどもお答えしたとおりでございますが、強制連行の中には、先ほど申しましたように、募集の段階も含めましてこれを評価するというのが学界に広く行き渡っているところでございます。
 例えば、ここに国史大辞典を持っておりますが、募集、官あっせん、徴用など、それぞれ形式は異なっていても、すべて国家の動員計画により強制的に動員した点では相違なかったというような、歴史辞典等にも載せられているところでございまして、私どもはこうした学界の動向を踏まえた検定を行っているということでございます。


これは教科書の記述に関する政府の答弁であるが、男子の『強制連行』については、上記の洪氏、山田氏と同様の説明を行っている。この後に、従軍『慰安婦』に関する有名な答弁が行われる。該当部分を抜き出して見てみる。

○政府委員(平林博君) 内閣外政審議室長の平林でございます。
 今の強制連行につきましてでございますが、私の方で調査いたしましたのはいわゆる従軍慰安婦の関係でございますが、従軍慰安婦に関する限りは強制連行を直接示すような政府資料というものは発見されませんでした。その他、先生の今御指摘の問題、朝鮮人の強制労働等につきましては我々が行った調査の対象外でございますので、答弁は関係省庁にゆだねたいと思います。


小山孝雄君 重ねて要請しておきます。
 そこで、先ほど外政審議室長から答弁もございましたが、もう一度お尋ねをいたします。
 一月三十日の本委員会で、片山委員の質問に対しまして、政府のこれまでの慰安婦問題に関する調査では慰安婦の強制連行はなかったという答弁をされましたけれども、もう一度外政審議室に確認をいたします。


○政府委員(平林博君) お答え申し上げてきておりますのは、政府の発見した資料の中に軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接示すような記述は見出せなかった、こういうことでございまして、その点は確認させていただきます。


○政府委員(平林博君) 平成五年八月の調査結果におきましては、個々の出典とか参考にした文献、証言等を個別に言及しておりません。実態として、今まで申し上げましたように、政府の発見した資料の中には強制連行を直接示す記述は見当たらなかったのでございますが、その他各種の証言集における記述でございますとか韓国における証言聴取とか、その他種々総合的にやった調査の結果に基づきまして全体として判断した結果、一定の強制性を認めた上であのような文言になったということでございます。


小山孝雄君 全体としてというのでは本当によろしくない。例えば、午前中、本委員会に入る前に科技庁長官から東海村の動燃の事業所での爆発事故の経緯説明がありましたけれども、こうしたことは一つ一つ真相を常に明らかにして進んでいくということが大事だと思います。
 再び外政審議室長にお尋ねしますが、政府の報告書の中で、調査資料の中で強制連行があったと判断したもとの資料は何でしょうか。


○政府委員(平林博君) 政府の発見しました資料の中からは軍ないし官憲による強制連行の記述、そういうものはございませんでした
 今申し上げておりますのは、ほかの証言、資料等も含めまして総合的に強制的な要素があったということを申し上げている次第でございます。


小山孝雄君 そういうことですから、当時この調査に当たった、政府の方針に携わった方々が今いろんなところで疑問を呈しておられる、こういうことだと思います。既に公表されているものでも研究者が、例えば秦郁彦千葉大教授だとか西岡力東京基督教大学助教授の詳細な調査、検証が行われていて、既に公にされている証言集等についてはほとんど信憲性がないということが立証されているわけであります。
 例えば、今発売されている文芸春秋誌上には先ほど申し上げました櫻井よしこさんのレポート、あるいは産経新聞の先週の日曜日だったでしょうかインタビュー記事、例えば当時の石原信雄官房副長官が、韓国における政府の聞き取り調査が決め手になったことを認めた上で、「最後まで迷いました。第三者でなく本人の話ですから不利な事は言わない、自分に有利なように言う可能性もあるわけです。それを判断材料として採用するしかないというのは……」と述べているわけであります。
 また、当時の外政審議室長も、今どこかの大使に行っていますが、「そのまま信ずるか否かと言われれば疑問はあります」と証言しております。さらにまた、聞き取り調査に行った当時の外政審議室の審議官田中耕太郎さんは、調査が終わった日にソウルでの記者会見で、証言をした慰安婦の方々の「記憶があいまいな部分もあり、証言の内容をいちいち詳細には詰めない。自然体でまるごと受けとめる」という記者会見をしたのも日本のマスコミにきっちり出ているわけであります。
 こうした経緯があるわけでございますけれども、やはりここで大きな疑問が残るわけでございまして、そうした資料をもとにああいう決定をしたんですかという疑問はまだまだ残るわけであります。
 官房長官、お尋ねいたしますけれども、そうした経緯があって河野長官のときにあの決定がなされたわけでありますけれども、そうすると、あの時代、軍や警察に身を置いて国のために身命を賭した方々の名誉というのは一体どうなるのかという問題も残るわけでございます。官房長官、御所感をお聞かせいただきたいと思います。


平林氏は、『河野談話』について、『強制連行』ではなく『強制性』を認めたものだと説明しているが、これは言葉によるすり替えであり『河野談話』の意図を捻じ曲げるものである。国策または戦争の遂行策に基づく労務への動員であれば、募集の方法は拉致であっても、騙しであっても『強制連行』であるからだ。


『強制連行』と『強制性』との奇妙な混同を政府自身が広めていくのである。その混乱に輪をかけたのが『狭義』『広義』という意味のないカテゴリ分けである。

(例)『狭義の強制』=『強制連行』の使用例

165-衆-予算委員会-3号 平成18年10月06日

安倍内閣総理大臣 この河野談話の骨子としては、慰安所の設置や慰安婦の募集に国の関与があったということと、慰安婦に対し政府がおわびと反省の気持ちを表明、そして三番目に、どのようにおわびと反省の気持ちを表するか今後検討する、こういうことでございます。
 当時、私が質問をいたしましたのは、中学生の教科書に、まず、いわゆる従軍慰安婦という記述を載せるべきかどうか。これは、例えば子供の発達状況をまず見なければならないのではないだろうか、そしてまた、この事実について、いわゆる強制性、狭義の意味での強制性があったかなかったかということは重要ではないかということの事実の確認について、議論があるのであれば、それは教科書に載せるということについては考えるべきではないかということを申し上げたわけであります。これは、今に至っても、この狭義の強制性については事実を裏づけるものは出てきていなかったのではないか。
 また、私が議論をいたしましたときには、吉田清治という人だったでしょうか、いわゆる慰安婦狩りをしたという人物がいて、この人がいろいろなところに話を書いていたのでありますが、この人は実は全く関係ない人物だったということが後日わかった*2ということもあったわけでありまして、そういう点等を私は指摘したのでございます。


○志位委員 今、狭義の強制性については今でも根拠がないということをおっしゃいましたね。あなたが言う狭義の強制性というのは、いわゆる連行における強制の問題を指していると思います。しかし、河野談話では、「本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、」とあるんですよ。政府が自分の調査によってはっきり認めているんです、あなたの言う狭義の強制性も含めて。これを否定するんですか。本人たちの意思に反して集められたというのは強制そのものじゃありませんか。これを否定するんですか河野談話のこの一節を。


安倍内閣総理大臣 ですから、いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。つまり、家に乗り込んでいって強引に連れていったのか、また、そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったことについての関連があったということがいわば広義の強制性ではないか、こう考えております。


慰安婦」『強制連行』狭義・広義の議論については、いくつかの山場があるが、常に結論の出た古くさい議論が「慰安婦」問題を矮小化するために蒸し返されている。

  1. 1992年 秦郁彦氏が『狭義の強制連行』という概念を持ち出したのに反論する形で、吉見義明氏が『狭義の強制連行』『広義の強制連行』という表現を用いる(後に小林よしのりによる攻撃の根拠に使われる)。
  2. 1996年 朝日新聞の記事に対して、産経新聞が『狭義・広義』論を出して批判する。(教科書問題)
  3. 2007年 何もわかっちゃいない最高責任者が『狭義・広義』論を持ち出し自爆する。(アメリカ下院決議への反応)


『強制連行』と『強制性』を同じ意味で使ったり、違う意味で使ったりする例は、櫻井よしこ氏西岡力氏の著書や雑誌への寄稿にも散見されるので、確かめてみるといいかもしれない(お薦めはしませんが(笑))。


はっきり言っておくが、『強制性』だの『狭義』だの『広義』だのを持ち出して、「慰安婦」や「女子(勤労)挺身隊」の『強制連行』を明確に認めない日本政府や一部の国会議員は、「日本国」を代表して女性差別を公然と行っているのである。

*1:「女子勤労挺身隊」とも言う

*2:秦郁彦氏の杜撰な旅行記では吉田清治さんの書いた『慰安婦狩り』が否定されたとは言えない。