韓国強制併合100年を機に日本軍「慰安婦」問題の解決を求める‐アップデート

賛同へのお礼とお詫び


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件名:賛同へのお礼とお詫び
差出人:おかだだい
送信日時:2010/08/15 11:45

日本軍兵士の息子たち100人宣言賛同へのお礼と
お詫びとお願いと

 日本軍兵士の息子たち100人宣言への賛同、本当に
心からありがとうございます。
 皆様から宣言文に対する思いやご意見、自分の父の
戦争体験も添えて賛同をいただき、とても
身の引き締まる思いです。

 現在賛同は73名を数えました。目標の100人まで
ほぼ4分の3です。あと1週間で残り27名ですが、
なにしろ100人を突破しないとハルモニたちに
顔向けできないという企画ですので、気を抜けません。

 ここでひとつお詫びがあります。賛同いただいている
宣言文なのですが、少し変更を加えました。
(文面は最後に載せています。)
 賛同いただいている方の中には、「文面には違和感を
覚えるが趣旨には賛同する」ということで
ご賛同いただいた方も多いです。また私の近しい友人からも
同じ意見をいただきました。
 そのうちの大きなものは、「あまりにも日本軍兵士に
罪をかぶせすぎているのではないか」というものです。
 当然、戦争の責任は日本軍や日本国家の責任であり
一兵士にあるのではありません。しかし被害者ひとり
ひとりの心に寄り添って考えれば、一兵士の加害者性に
思いを至らせないわけにはいきません。とりわけこれは
日本人男性としてのアピールであるからと、私は主要に
そこに力を入れて文面を作成しました。
 その結果文面が趣旨を100%伝え切れていないのでは
ないかと思い、文章を訂正しました。日本軍兵士の
被害者性と加害者性をきちんと書くことで、以前よりは
ずっとわかりやすい文章になったのではないかと
思っています。
 違和感をもたれた方の幾分かのご意見は、これで
解消できるのではないかと思っています。

 宣言文の趣旨やスタンスそのものは何ら変えては
いないので、「この訂正で賛同できなくなった」という方は
おられないだろうと思います。しかしキチンとご理解を
求めるのが提案者としての責任と考え、提案いたします。
 またもし「これでは逆に賛同できない」という方が
おられましたら、ご連絡ください。お詫びの上、
謹んでお名前を取り下げさせていただきます。

 なお息子や孫という言葉で語ることに違和感を覚える
という方も複数おられました。これについては今後私が
活動をしていく上でのご意見として、ありがたく
頂戴しておきます。これは当初は「日本人男性
100人宣言」とするところを、その標題に違和感を
覚えたために、考え抜いてひねり出した言葉です。
標題に関わることでもあり、また私の思い入れもあるので、
今回は訂正しませんでした。何卒ご容赦ください。

 本来であればもっと文案を多くの人と議論してから
提案すべきだったのですが、挺対協からの提起を受けてから
短い時間での取り組みだったので、準備不足のまま
スタートしてしまいました。重ね重ね申し訳
ありませんでした。

 取り組み終了まであと1週間しかありませんが、引き続き
「日本軍兵士の息子たち100人宣言」の趣旨に
ご理解いただき、またあなた様の周囲で宣言を広め
一人でも多くの賛同を募っていただきますよう、
お願い申し上げます。

                (おかだだい拝)

 賛同される方は peaceright2001 at hotmail.com に
お名前とフリガナをお知らせください。

 また「文字化けする」という声もいただいたので
HPにもアップしました。こちらからも賛同メールを
送ることが出来ます。

http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/sons100.html


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韓国強制併合100年を機に日本軍「慰安婦」問題の解決を求める
=日本軍兵士の息子たち100人宣言=

 今年は日本が大韓帝国を強制的に「併合」した1910年より
ちょうど100年を迎えます。私たちは日本軍兵士の息子として、
孫として、深い反省と自己批判なしにこの年を迎えることが
できません。
 日本軍は、中国大陸に、フィリピンやインドネシアなどの
太平洋地域に、沖縄に、ありとあらゆるところに「慰安所」を
設置しました。そこには朝鮮人女性がとりわけ多く
連れて行かれ、日本軍兵士への性行為を強要されました。
 「慰安所」は戦場・占領地の日常風景の一つでした。
当時そこにいた父や祖父たちの多くはそれを無批判に受け入れ、
「利用」したことでしょう。
 何の疑問もなく「慰安所」を受けいれていた父や祖父たちとは
異なり、私たちは「慰安婦」とされた女性たちが当時、
どのような耐え難い日々を生きていたかを知っています。
多いときは一日に何十人も性行為を強制され、弾の飛び交う
前線にまで引きずり回され、逆らえば殴ら、切られ、身も心も
ズタズタにされ、生き残って解放を迎えられたことそのものが
奇跡でした。
 しかも戦争の終わった8月15日は、彼女たちにとっては
解放ですらありませんでした。「慰安婦」とされた女性は
「こんな体になって帰れない」と現地に残ったり、帰国船から
身を投げたり、朝鮮半島に帰っても多くの人が家族の元に
戻ることができませんでした。戦後生き残った私たちの父や
祖父たちの多くは何事もなかったかのように生きてきたと
いえるでしょう。一方「慰安婦」とされた女性たちは
心の傷を抱えて、「慰安所」での体験を誰にも明かすことなく
生き抜いてきました。
 私たちの父や祖父たちにとっても戦争体験は地獄
そのものです。「お国のため天皇陛下の御為に」と赤紙ひとつで
徴兵され、前線に放り込まれ、上官の理不尽なビンタと凄惨な
殺戮の日々の中で、兵士の人間性は容赦なく破壊されました。
戦争末期の物資の届かないジャングルでは飢餓やマラリアと闘い、
片道切符の特攻兵器では文字通り死ぬことを命令されました。
一人一人の兵士たちは、日本軍の野蛮さと大日本帝国の侵略性の、
むしろ犠牲者でした。
 しかし「慰安婦」にされた女性たちからすれば、その兵士たち
一人一人は、まぎれもない加害者です。
 私たちは「慰安所」を設置し女性たちに性暴力を組織的に
行った日本軍の責任を問います。そして戦後65年たっても
この問題を解決することのない日本政府の責任を追及します。
 そしてそれは同時に、父や祖父たちの罪を背から下ろし、
未だ解決されないことによって私たちに相続された罪を
清算する作業でもあります。現在日本には、
日本軍「慰安婦」問題を口にすれば「父や祖父を冒涜する行為だ」
と非難する人たちがいます。しかし子や孫である私たちが
加害の行為に目を瞑っていては、父や祖父たちはいつまでも
罪を背負ったままです。「慰安婦」とされた女性たちの言葉を
聴いた私たちは、父や祖父の加害行為に向き合いたいと思います。
そして現在も日々生まれ続けている女性に対する差別や犯罪を
根絶するためにも、向き合わなければなりません。
 朝鮮植民地支配の最大の罪のひとつがこの日本軍「慰安婦
問題であり、戦時性暴を象徴するものとしてこの問題は存在して
います。植民地支配から100年を経過した今年こそ、
この問題を解決しましょう。

 日本人男性として、今年こそ日本軍「慰安婦」問題の解決を
求めます
 日本政府が謝罪と補償を実行し、被害女性の尊厳回復を
実現することを求めます

  2010年8月25日


(以下賛同者100人)

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おかだだい
peaceright at mbp.nifty.com
http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/
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