Composite Report を追いかけて
文書公開のお願い(当ブログ 2007年8月17日のエントリ)の主旨にご賛同いただき、ブログでご紹介してくださったみなさま、また、エントリーを読んでコメントを寄せてくださったみなさま、ご協力、感謝しています。本当にありがとうございます。
エントリーを立てたあと、「史実を世界に発信する会」に対して、"Composite Report on Three Korean Civilians, List No. 78, dated 28 March 1945, “Special Question on Koreans"の所在の有無の確認と、所在が明らかになった場合の公開の要請を求めるメールを送りました。メールの返答がない場合は、「史実を世界に発信する会」に対して電話で確認を取る予定です。
一方で、この得体のしれない文献を誰がどのような経緯で入手(?)したかも調べてきました。わずかですが新しい情報が得られましたので報告します。
2ちゃんねる過去ログより
アメリカの訴訟
http://yasai.2ch.net/kokusai/kako/966/966384472.html
50 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/09/19(火) 15:57
日本大学法学部・秦郁彦(はたいくひこ)教授の調査98/11/03
◆慰安婦総数は1万数千人 日大教授が調査
(10/3の産経新聞からの引用)定説「5万−20万」否定
朝鮮半島出身者は2割
先の大戦中に日本軍の慰安所で働いていた慰安婦の総数は定説だった「5万−20万人」を大きく下回る1万数千人で、これまで大多数を占めるとされていた朝鮮半島出身者も全体の2割程度にとどまり、内地人女性の方が多かった可能性の高いこと*1が2日、秦郁彦日大教授(現代史)の調査で分かった。当時の公文書などの分析から結論づけたもので、慰安婦をめぐる歴史論争に一石を投じそうだ。(教科書問題取材班)
(中略)
【強制連行の有無】
秦教授は最近、米国立公文書館で、米軍が一九四四(昭和十九)年夏、テニアン島で捕虜になった三人の朝鮮人軍属から聴取した記録を見つけた。朝鮮人軍属は「太平洋の戦場で会った朝鮮人慰安婦は、すべて志願者か、両親に売られた者ばかりである。もし女性たちを強制動員すれば、老若を問わず朝鮮人は激怒して立ちあがり、どんな報復を受けようと日本人を殺すだろう」と陳述していた。
秦教授は「この六−七年、多数の関係者が血眼で探しまわっても見つからないとなれば、『官憲による強制連行』はなかったと断定するのが常識的」と話している。
(尚、秦教授の研究成果を集約した著書が、『慰安婦と戦場の性』として新潮社より発売されている)
−この記事からわかった事実と新たな手がかり
2.について調べてみたところ以下のサイトに興味深い記述がありました。
ウィキペディアより
和田春樹の項
歴史学者・秦郁彦とは各種の事実認定や歴史解釈をめぐり何度も論戦。二人の出会いは、財団法人アジア女性基金の資料委員会委員を和田とともにつとめたことによる。大蔵官僚出身で財政史の編纂に携わっていた秦を委員に推薦したのは和田ではなかったが、共同研究を快諾し、資料による実証的研究を共に推進する考えであった。
- しかし、基金の助成を受けアメリカで調査を行い、それを受けて当時、発行予定であった同基金報告書に寄稿するように要請されたことを契機に、和田との関係は一変していく。民衆の実際に根拠を求める学風と、秦の行政官出身の学風が異なるアプローチを見せている。
基金の設立
秦の提出した慰安婦に関する報告について、和田は検討を加えている。
- アジア女性基金の設立そのものが、当時の村山談話を根拠とするものであるにもかかわらず、秦の文章には、財団設立の趣旨・理念を踏まえないエッセイ的記述が多数見られる。
- 各自のイデオロギー的立場を越えた資料実証研究を行うという資料委員会の申し合わせに反することを問題とした。
- それを根拠に、和田と同基金資料委員会委員長であった高崎宗司は秦に対して、文章の撤回を打診(その権限について秦は疑問を提示、また、秦によればそれは打診ではなく査問であったという)したが秦は拒否。
- 混乱の後、最終的には「権限の有無を別として和田・高崎が没を希望、秦がそれを受け入れる」という形で秦論文は未掲載となった。
この不掲載の文章は
この秦論文については、『現代史の対決』文藝春秋2005年 を入手できたので、後日、内容について報告します。
お願い
- アジア女性基金にまつわるイザコザについてはよくわかりませんので、何かご存知の方は情報をお寄せいただけると有難いです。
- ひきつづき、文書公開のお願い(当ブログ 2007年8月17日のエントリ)をブログなどで多く広めていただけるよう、ご協力をお願いします。
リンクだけも構いませんし、記事をそのまま貼っていただいても構いません。ひとりでも多くの方に取り上げていただき、ひとりでも多くの方が記事を読むことで、この文書を公開しない限り、この文書を強制連行の否定の根拠として使うことは困難になります。
Apemanさんが秀逸な考察をされていますが、わたしも、この文書が実在したからといって、この文書が強制連行の否定する強力な証拠となるとは考えていません。というよりも、「強制連行はなかった」派の人たちが、この文書の公開を求めていないということが、彼らの歴史や学問に対する姿勢を如実にあらわしているようで、手放しで喜ぶわけにもいかず、少し複雑な気持ちになったりしています。