どくしょのじかん Part 2 -その2-


公娼制の認識

わたしたちは、明治以降の日本の公娼制の実態や、廃娼運動、それに抵抗する勢力、議会や内閣の各省庁の動きについてよく知らない。学校で詳しく習うこともない。ただ『当時、公娼制は合法だった。』という言葉だけが拡散し、『だからしかたがない』とか『性奴隷ではなく売春婦だった。』とかいうトンデモない妄言が広まっていく。
最近、市川房枝解説『日本女性問題資料集成 第一巻 人権』、ドメス出版、1978年を読む機会があったので、そこから得た知識や資料、関連書籍などを参考に、吉見先生、秦先生、西岡先生の公娼制にたいする見方を比較してみた。

市川房枝の解説

 思わぬペルーの側の物的証拠をつきつけての反撃*1に、明治政府は一八七二年(明治五年)一〇月、有名な娼妓開放令*2を布告する。俗に牛馬切りほどきといわれたが、津田真道の建白書に出てくる「牛馬」と同じ語が使われているのは偶然の一致か、または影響なのか。太政官達は人身売買の禁止・年季奉公の制限をしており、司法省達では前借金無効を通達している。この二つの布告が完全に実施されれば日本は一八七二年に公娼制度廃止の“名誉”を勝ちえたのだがそれにそむいた


(強調は引用者)

市川房枝解説『日本女性問題資料集成 第一巻 人権』、ドメス出版、1978年、39ページ

吉見義明の見解

 公娼制度は、まさに人身売買、性の売買と自由拘束を内容とする事実上の性的奴隷制だったのである。そして、日本は、この制度を台湾・朝鮮や、関東租借地委任統治領の南洋群島に移出していく。


吉見義明『従軍慰安婦』、岩波書店、1995年、227ページ

秦郁彦の見解

[公娼制度は]まさに、「前借金の名の下に人身売買、奴隷制度、外出の自由、廃業の自由すらない二〇世紀最大の人道問題」(廓清会の内相あて陳情書)にちがいなかった。


秦郁彦慰安婦と戦場の性』、新潮社、1999年、36ページおよび38ページ

市川が指摘するように、市川が上げた二つの布告が字義通りに運用されれば、明治五年で日本の公娼制は終焉を告げていたはずである。実際、市川が上げた二つの布告はその後も取り消されていない。
にもかかわらず公娼制が温存されたかについて、ここでは詳細を述べないが、いずれにせよ、吉見や秦が述べるように、公娼制は娼妓の自由を束縛する奴隷制度であり、また、明治五年以降、人身売買は犯罪であること歴史学上の定説でもある。


これらを念頭に以下の西岡力先生の著述をお読みいただきたい。

西岡力の見解

 事実軽視の韓国マスコミ

(略)
 慰安婦はもともとそのような職であった人たち、貧しくて売られたりした人たちなのである。悲しいことではあるが、戦前の日本には公娼制度があって、売春は公認され管理されていた。全国各地に『女郎屋(じょろうや)』と俗称された売春宿があり、それが軍専属となったのが従軍慰安婦である。


西岡力『日韓誤解の深淵』、亜紀書房、1992年、193〜194ページ

さらに別書から引用する。

 いま問題となっている慰安婦は、まさに世界のどこにでもあったように、貧困が原因で「身売り」が行われ、戦争という当時の環境の中で、とりわけ慰安婦(ママ)が行ったということなのです。ですから、歴史的事実として「慰安婦」は存在したが、一部で論じられているような「従軍慰安婦問題」はなかったと言うべきなのです。


 ですから、私は、慰安婦には同情しても、どうして謝罪しなければいけないのか、まったく分からないのです。(以下略)


 もちろん、そういう貧困の中にあっても、貧困を原因としてではなく、日本国(ママ)が権力によって朝鮮人の女性であれば誰でも引っ張って行って――たとえば、道を歩いていた女性を引っ張って行ったとか――戦場で売春を強要した、というようなことがあったとすれば、それは当時の状況からしても問題でしょう


(強調は引用者)
西岡力『日韓「歴史問題」の真実』、PHP研究所、2005年、111ページ


西岡先生は、当時日本の公娼制では『人身売買』が合法だったと誤った認識を持っておられる。この認識と「キーセン(妓生)」=「娼婦」という間違った認識が重ねあわさったからこそ「キーセンに売られたから強制連行ではない」と主張されるのであろう。


金学順さんは、養女になって妓生券番学校に入れてもらい、そこで修行をしたが、年齢が達していなくて妓生になれず、養父に連れられて中国に行き、そこで旧日本軍に拉致された。

文玉珠さんは、拉致されて慰安所に入れられた。そこを逃げ出して帰国した後に、自分の意思で、自分でお金を払い、妓生券番学校に入り、芸を身につけ卒業し、妓生になった。その後、友人の誘いに乗って、騙されて再び旧日本軍の「性奴隷」にされた。


妓生券番学校で修行したことや、妓生になったことが書いてあるかどうかが重要な問題ではない。書いてなかったからと言って、証言の信憑性が損なわれるわけではない。拉致されたり騙されて慰安所に入れられ性奴隷の生活を強いられたことが重要な問題なのである。
その経緯の中では、朝鮮人の重大な関与があるが、彼らは自国の娘を売った人間として罰せられて当然だろう。しかし、少なくとも、慰安所に入れられるときには、その経緯はわかっていたはずだから、それなりの措置を現地軍がするべきであったのに、それが成された形跡はない。何より、当時は朝鮮も日本の領土であり、朝鮮出身の人々は日本人であった。「内鮮一体」を謳いながら、このザマとは情けない限りだろう。


また、『貧困』が原因と何度も強調されるが、軍の意向を受けた業者(日本人や朝鮮人)が『貧困』に喘ぐ未成人の朝鮮人女性をターゲットにし、お金で釣ったり、いい仕事があると騙したり、ときに拉致して、慰安婦にしたのであり、貧困が原因などではない。朝鮮半島を圧倒的な貧困に貶めたのは、1910年の朝鮮合併後の日本帝国の政策が主要な原因であることを熟知している西岡先生がこのような妄言を書く原因について直感することがよくあり、わたしなりの考えも持つようになったが、それはおいおい明らかにしていく。


最後に、『戦場で売春を強要した』から問題になっているのであり、さらに言うなら、強要したのは売春ではなくてセックスであるから、『強姦』である。また、日本軍の兵士たちは、軍票を支払ったのである。軍票は兌換紙幣ではなく、いわば領収書である*3