見損なったよ!秦郁彦
久しぶりに秦郁彦先生の本を買った。タイトルは『歪められる日本現代史』*1(PHP、2006年)。
帯には「「歴史認識論争」、「大江健三郎氏」、「NHKと朝日」から「従軍慰安婦」、「南京虐殺」、「昭和天皇」まで。 なぜ日本人をミスリードする言論が続出するのか?歴史家が鋭いメスをいれた評論集。」と書かれている。
内容は往年の秦先生の著作からは想像もできないほど低レベルなもので、もはやネトウヨ・レベルと言って差し支えないほどの低俗なものだった。
その中でも一番あきれかえり、同時に猛然と腹がたったのが次の文章。
筑紫[哲也]氏については、[2002年]12月18日夜の「報道スクープ」で「北朝鮮に核を持つなという資格は核大国のアメリカにはない」と新たな相殺論をぶっていたのにびっくりしたが、12月23日の「NEWS 23」では、とんでもないグロテスクな番組を登場させた。
「年末SP あなたの意見を生で募集、あなたの物語で番組を作る90分間の実験」のふれこみで画面に登場したのは、前をはだけて人工肛門のゴム袋をぶらさげている若い女性だった。
しかも露になった上半身の下腹部から突き出ているピンク色のゴムホースの如きものを、本人がにこにこ笑いながら指して「私の腸です。ここから便が袋に落ちるのです」と説明したのには仰天した。何とも後味の悪いシーンだが、上品と定評のあった「NEWS 23」もエロ、グロとタブーを破った次はナンセンスの番かと期待の思いもなくはない。
聞くところによると、TBSには報道倫理外ガイドラインなるものがあるという。その中の「品位ある報道」という項目には「高い水準の礼節を守り、社会の価値観に敏感であること、人に不快感を与えるような報道や表現に陥らないこと」などと書いてある。
また、「性に関する報道」には、子供を含めた家族で見ることを念頭に置いて取材編集にあたるように、と注意してあるよし。慰安婦や人工肛門の話題と描き方が、果たして前記のガイドラインに抵触しないか筑紫キャスターの見解を知りたいところだ。
(上掲書、136ページ。強調は引用者。漢数字は適宜、算用数字で表記した)
わたしは、この番組は見ていないが、若い女性が何らかの原因で人工肛門を造らざるをえなくなることは、肉体的にも、精神的にも、社会的にも非常に辛いことだと思う。障害者はみな、障害を持ちたくて持っているわけではない。この女性が笑って自分の人工肛門をテレビで見せられるようになるまでには、他人には理解も想像もできないような苦難や葛藤があっただろうと考える。
わたしは、彼女の姿がグロだとも思わないし、「後味が悪い」とも思わない。彼女の勇気を讃え、幸せを願わずにはいられない。
買ったばかりだが、この本はゴミ箱に捨てる。もう、秦さんの本なんて読まない。
オストメイトの生活ニーズ(社団法人日本オストミー協会)
■はじめに
オストメイトとは、人工肛門・人工膀胱(これをストーマという)を腹部に造設された身体障害者をいい、外見上は身体障害者であることが判別しにくい。オストメイトは、手術による排泄部位と排泄処理方法の身体機能変化によって生じる。
■オストメイトの特徴
オストメイト(人工肛門・人工膀胱保有者)は、排泄に関わることは他人に知られたくないとの思いが強く、社会的偏見もあって隠したがる傾向にあり目立たない存在である。しかしながら、オストメイトにとっては生まれながらの大腸の一部または全部・肛門あるいは膀胱・尿道を手術によって切除され、新たに造設されたストーマ (排泄孔)から排泄することになる身体機能の変化は、大変ショックなことであり精神的なダメージが大きく、したがって事態の変化を認識し立ち直るのは容易ではない。いうなれば、自分だけが何の因果でこんなひどいことになったのか、これからの人生はどうなるのかなどの精神的な葛藤と他人と異なる身体となったことの屈辱感、先行きを予測できない焦燥感をどのように乗り越えていくかという問題である。
■オストメイトの障害の様相
ストーマ造設は、大腸がん・膀胱がんなどのがん疾患のほか、潰瘍性大腸炎・クローン病などの炎症性疾患、先天性疾患などを治療するために手術によって行われる。人工肛門の場合は、切除して残った結腸或いは回腸の先端を排泄孔として腹部に固定するので括約筋がない状態となり、不随意に便が排泄されコントロールすることが不可能である。人工膀胱の場合は、多くは一部切除した回腸を導管としてこれに尿管をつなげて回腸導管の先端を排泄孔として腹部に固定するので括約筋がない状態となり、間断なく尿が排泄される。
■オストメイトの悩み
健常者であったときには理解しがたいストーマと共に生きていくという現実は、オストメイトにとって、ストーマのセルフケアとストーマからの排泄という行動の制約に対処するため、少なからずライフスタイルの変更を余儀なくされるということである。オストメイトは、ストーマを造設された時から悩みを家族にも相談できず一人で抱え込んでいる。また、ストーマに関する範疇は当事者でなければ理解できないので、独り悶々として過ごす日々が続くことになる。オストメイトの多くは、排泄物の漏れや臭いのトラブルを一度ならず経験しストーマ周囲の皮膚障害に時として苦しみ、ストーマ装具の装着が困難な事態になれば外出できなくなる。ストーマのセルフケアがうまくいかない、ストーマが不安などの理由で、外出など行動範囲を狭めているオストメイトもいる。
総じてオストメイトには、排泄にかかわる問題をはじめとしてストーマ周囲の皮膚トラブル対策のほかに、骨盤内手術に起因する性機能障害・排尿障害や腸閉塞・尿路感染症等の術後の合併症への対応、がんの転移・再発および原疾患等への不安が常について回る。
もちろん、身体機能の変化による精神的なダメージ、日常生活上の悩み・不安、排泄処理への対応などのほかに、夫婦関係・対人関係・職場での対処などの面でも問題を抱えており、多様な生活ニーズがある。また、若年層では就学・就労・恋愛・結婚・妊娠・出産などで大きなハンディキャップがあり苦悩している。
■不安から見た問題点と要望
オストメイトは、日常生活面でいくつかの不安を抱えている。当協会の生活実態調査に見られる不安からその問題点と要望の主なものをまとめてみる。
1. オストメイトはストーマ装具がなくては家庭内でも生活ができないので、ストーマ装具を自宅に保管し、外出時はこれを身近に携帯しているが、災害発生の避難時にストーマ装具を持ち出せなかった場合は身動きがとれなくなる。
この対策として、当協会では地方自治体に対して災害発生時における避難所でのストーマ装具の緊急支給を要望している。また、装具販売業者に対して、ストーマ装具を可及的速やかに自宅などへ配達する体制の確立をお願いしている。
2. オストメイトの生活はストーマのセルフケアにより成り立っており、高齢になってもこれを維持していかなければならない。そして、自分でセルフケアができなくなったときは他人の手助けによりこれをカバーしていく必要があり、身体が不自由になったとき或いは寝たきりになったときに、公的サービスにより満足なストーマケアを受けられるよう切望している。
介護施設はもちろん在宅ケアにおいては、看護職と介護職の協働によるオストメイトの障害特性に配慮した機動性のある介護サービス提供をお願いしたい。現在、当協会では社会の理解を得て、ホームヘルパーでもストーマのセルフケア範囲内を代行できる体制の確立を要望している。
3. オストメイトは外出時に不安と緊張からトラブルを起こしやすく、常にアクシデントを心配しながら外出している。例えば排泄物や臭いが漏れたりするトラブルが発生した時は、パニック状態となり近くのトイレへ駆け込むことになるが、一般トイレでは緊急処理が容易でなくオストメイトが困窮している。
オストメイトのバリアフリーとして、当協会では平成11年頃から公共的施設の身障者トイレや多機能トイレの中に、排泄物処理、ストーマ装具の交換・装着、ストーマ周囲皮膚の清拭・洗浄などトラブル発生の緊急時に対応可能な設備を備えるよう全国的にアピールしている。また、病院においても通院・入院の際に、オストメイトが便利にトイレを使用できるよう配慮されることを願っている。
最近、オストメイトの切実なニーズが社会的な理解を得て、この『オストメイト対応トイレ』が普及しつつあり、今後の期待は大きい。オストメイト対応トイレの入口には、オストメイトが入りやすいようにオストメイトマーク(案内用図記号)が表示されている。
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■ はだかの「慰安婦」(半月城通信 No. 92)
半月城です。
先日(13日)、テレビで「元従軍慰安婦、一枚のヌード写真が語る重い歴史」と題
する番組が「筑紫哲也 NEWS23」で放送されました。その衝撃的な写真をめぐって、
フリーライターの西野留美子さんが内容の濃い話を語っていましたので、それを補足
して紹介します。
アメリカの公文書館に戦時中の資料として「中国軍によって捕虜にされた日本の女性」と称される一枚の写真が保管されました。えっ?女性が捕虜に?と思われるかもしれません。
おまけに捕虜のひとりはおなかの大きい妊婦であるだけに、彼女たちが捕虜だなん
てにわかには信じがたい話です。それだけに、写真に写っている妊婦のしんどそうな
姿を一度見たら誰でもその写真をけっして忘れることはできないでしょう。
実は、捕虜の妊婦とは朝鮮人「慰安婦」で、公文書館の別な資料に朴永心と記録
されました。するとさらに新たな疑問がわきます。日本軍「慰安所」では性病予防を
かねて利用者の兵士ひとりひとりに「突撃一番」とよばれる男性用避妊具を渡してい
たので、それが機能するかぎり「慰安婦」が妊娠するとは考えにくいところです。ま
た、たとえまちがって妊娠したとしても「慰安婦」はすぐ堕胎させられるか、お払い
箱になるのが通例なので、臨月近い「慰安婦」の存在は不可解です。
この疑問にたいするヒントは写真の撮影場所にありました。そこはミャンマー
(ビルマ)に近い中国の山岳地帯で雲南省の拉孟(らもう、通称・松山)とよばれ
るところでした。
拉孟は中国抗日軍へ連合軍から物資補給されるビルマルート、いわゆる援蒋ルー
トの拠点にあたり、中国軍とのあいだで熾烈な戦闘が展開されました。日本軍は日に
日に敗色が濃くなりやがて玉砕するのですが、当時のようすを西野さんはかろうじて
生きのびた兵士の証言からこう書きました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
戦況は不利の一途を辿り、やがて本土陣地も危険になり、早見たちは山崎台に後
退していく。戦死者が続出した。ひとつの陣地の兵力はせいぜい多くて15,6名
だった。彼が積山陣地に着いたとき、わずか12名になっていた。
連日の雨で、壕のなかは膝までぬかる溝川となっていたが、壕から頭すら出すこ
とができなかった。用を足す場合も、迫撃砲の弾が入っていた空缶を使った。迎え撃
ちたくともすでに弾丸はすべて切れていた。
制空権はすでに奪われ、後方からの食糧輸送は断たれていた。わずかな食糧を空
缶に入れ、ろうそくの火でトロトロ煮て食べた。しまいにはジャングル野菜と呼んだ
野草を食べて痩せこけた体を保った。空腹で疲労は極致に達していた(注1)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
日本軍は戦況がどんなに不利になっても兵士に投降を許さなかったので、残され
た道は自滅的な突撃、すなわち玉砕しかありませんでした。番組に出演した朴永心さ
んは「日本兵もかわいそう、日本へ帰れば両親、妻子、兄弟もいるのに...」と哀
れんでいましたが、愚かものが指導する侵略戦争は民衆の不幸を倍にしました。その
最大の犠牲者が「慰安婦」なのですが、その「慰安婦」にすら「かわいそう」と同情
される存在が皇軍兵士でした。
「慰安婦」はそうした心根で兵士たちと壕のなかで一緒に暮らし、炊事なども手伝
い、運命を共にしました。「慰安婦」が連合軍により捕虜扱いされた理由はここにあ
ります。さて、先ほどの妊婦の写真ですが、西野さんはこれに10年以上もこだわり続け
ました。兵士などの証言から彼女の源氏名が「若春」であることもわかりました。そ
して今年になって、新たな数枚の写真を拉孟の近くの騰越で入手しました。それがテ
レビで取りあげられた問題のヌード写真です。
それらの写真は雑誌『プレイボーイ』顔負けの構図で「慰安婦」の全身ヌードや、
ベッドで兵士と裸でたわむれる写真などでした。これらは、写真館を日本軍によって
接収され「慰安所」にされてしまった熊氏により撮影されたものでした。
南京大虐殺(1937)以来、性欲旺盛な兵士により多発した強姦を減らすため、日本
軍は各地に「慰安所」を設けました。松山でも部隊長の戦記「若い兵の為に考えてや
らなければならぬのが慰安所である」との記述どおりに「慰安所」がつくられました
が、そのうちのひとつはいまでも建物だけが現存します。朴永心ハルモニ*2 (おばあさん)は、17歳の時、巡査に「いい仕事があるから」
とだまされ、ビルマを経由して拉孟へ連れてこられました。そのときのことを朴永心
さんは「なんでこんな所に...涙が止まらなかった...」と語っていましたが、
今の高校生くらいの歳で皇軍兵士の「共同便所」がわりに奉仕させられた生き地獄さ
ながらの日々は、筆舌につくしがたいものがあったようでした。
軍刀で斬りつけられた跡が今でも残っているハルモニの首筋をテレビカメラがう
つしていましたが、性奴隷として半死半生の生活を余儀なくされたことが容易にうか
がえます。
幸か不幸か、ハルモニのおなかの子どもは死産でした。子宮も摘出したので、ハ
ルモニは二度と子どもを産むことはできませんでした。「慰安婦」生活は身も心も、
そして人生もズタズタにしてしまったようでした。
さて、朴永心さんがヌード写真のモデルであるとの証言を得た西野さんは、どう
してもそれを本人から確かめるたい一心で北朝鮮に飛びました。ピョンヤンのホテル
のロビーには公文書館の原画を引き伸ばした写真が掲げられていますが、そのメイン
である朴永心さんはピョンヤン近くの南浦市にいまでも健在です。
朴ハルモニに会った西野さんは、ヌード写真を見せようか見せまいか、さんざん
迷いました。もし、写真の主が彼女とわかれば、朴さんのつらい過去をことさらえぐ
ることになります。意を決して西野さんは写真をみせました。
「この写真、誰だかわかりますか?」
「いいや...私はおばあちゃんだし...」「ハルモニの若いときの写真ですか?」
「そうですよ...」
(涙)
「もうやめましょう」
ハルモニは絶句した後、しきりに「死にたい」ともらしていたそうです。涙に暮
れたつらい「慰安婦」時代の古傷を思い出したのでしょう。
ハルモニのような「慰安婦」のひとりが、もし、自分の母親だとしたら...そ
う思うと私はいたたまれない気持ちになります。私には朴永心さんが経験した地獄は
けっして他人事ではありません。そのため、とめどなく涙を流すハルモニの姿を私は
とうてい正視することができませんでした。
悲惨な青春しかなかったハルモニに、せめてもの償いやおわびがなされれば、す
こしはハルモニも心安らぐのでしょうが、それは81歳のハルモニが存命中に何とか
してあげたいものです。
そうした過去を清算するはずの日朝交渉は、拉致被害者家族の帰国問題ですっか
り暗礁に乗りあげてしまいましたが、交渉はハルモニが少しは償われるような形で解
決すべきです。(注1)西野留美子『従軍慰安婦と十五年戦争―ビルマ慰安所経営者の証言』明石書店,1993
秦先生、自分の本に「NEW 23」のキャプチャ画像を載せてるあんたは何なんだ?
*1:"Collection of Essays Opposing the Many Arguments that Wrongfully Interpret Modern Japanese History" などという意味不明の英語タイトルがついている
*2:朴永心さんの死去−耐え難い苦痛を抱えて(朝鮮新報 -2006年月21日)
あらためて、朴さんのご冥福をお祈り申し上げます