宮古島の日本軍「慰安婦」の祈念碑にかかわって

哀史刻み、伝える 日本軍「慰安婦」の祈念碑除幕 (琉球新報 - 2008年9月8日)

宮古島】日韓の研究者や宮古島市民らでつくる「宮古島に日本軍『慰安婦』の祈念碑を建てる会」は7日、戦時中に朝鮮人慰安婦宮古に連行された歴史などを伝える「日本軍『慰安婦』の祈念碑」の除幕式を同市上野野原で開いた。同会によると、アジアを中心に12カ国約600の個人・団体から賛同を得ており、同様の碑は国内でも例がないという。
 碑は3種類。「女たちへ」と題した碑文は、戦時中の女性への性暴力の悲惨さや平和の大切さを訴えた。その両脇の碑文に日韓やタイ、ベトナムなど12カ国語で「全世界の戦時暴力の被害者を悼み、二度と戦争のない平和な世の中を祈ります」と記した。宮古島で「朝鮮人慰安婦」が歌っていた「アリラン」を伝える「アリランの碑」も建立された。

「女たちへ」と題した祈念碑の12カ国語の碑文

尹貞玉さんの挨拶(宮古島慰安婦」建立委員会の活動報告より)

ご挨拶  1990年11月韓国挺身隊問題対策協議会と日本軍「慰安婦」問題アジア連帯が1992年8月に結成されたときから、日本軍性奴隷被害者たちと関連団体は日本に、被害者のための「慰霊碑」建立を要求してきました。2000年に開いた日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷(以下;女性国際法廷)でも、その判決文に日本に「慰霊碑」を建立することを指示しました。しかし、女性国際法廷以降、日本の右翼による歴史歪曲はますます深刻となり、平和憲法さえも改悪しようとする動きまで現れています。過去の侵略戦争に対する反省の気持ちは、未だに見られません。
 一方、高齢化による病とトラウマに悩まされてきた被害者たちは、「恨」を抱いたまま世を去っていきました。
 2006年尹貞玉が沖縄本島を調査した時、洪ユン伸から与那嶺博敏氏が宮古島の自分の土地に、「慰安婦」のための「アリラン」の碑を建てることを願っているとの話を聞きました。このことがきっかけとなり、コリア・東京・沖縄が主体となり宮古島アリランの碑と、平和を願う二つの祈りの碑を建て、平和の森を作ることに合意しました。それに、アジアの被害者が参加し、戦後も続く戦時下の性暴力被害の象徴としてベトナムも参加することになりました。
 与那嶺氏に心からの感謝を申し上げたいと思います。
 この思いを、戦争と武器紛争下の暴行を受けた全ての被害者に捧げ、この美しい地球に二度と武器衝突の起きない平和な日々が訪れることを、心から祈ります。


       「宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会」 共同代表 尹貞玉

書籍発行のお知らせ (上掲活動報告より)

『−「慰安婦」を見た人々−宮古島における「慰安所」証言集』(なんよう文庫)出版します!


本調査報告には、現地調査の内容はもちろん、「慰安所」マップ、宮古島における沖縄戦を分かりやすく紹介するコラムなどが掲載されます。
一冊:1800円 (以下略)


 利益は全て今後の碑の管理のために使う予定です。


この本が届いたら、内容を紹介する予定です。
また、この祈念碑建立の報道については、碧猫さんのブログ『Gazing at the Celestial Blue』のエントリ『宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑建立』で詳しく紹介されています。