『日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める緊急120万人署名』の紹介


碧猫(felis_azuri)さんからトラバをいただいたので紹介します。

署名ページからの抜粋

 1991年、韓国の金学順(キムハクスン)さんが元「慰安婦」として名乗り出られて以来、各国の多くの被害女性たちが声をあげました。若い日にだまされ、あるいは暴力で日本軍の「慰安所」に監禁され、想像を絶する苦しみを受けた被害者たちの多くはすでに亡くなり、残された方も今はもう80代90代の高齢になられています。1993年に河野洋平官房長官(当時)が、調査結果に基づき「お詫びと反省の気持ちを申し上げる。そのような気持ちを我が国としてどのように表すかについては、今後とも真剣に検討すべきもの」との談話を発表しましたが、その後、なんら進展がありません。私たちが加害国の一員として、また人間として、誠意を表すことのできる時間はもうあまり残されていません。
 政権交代が実現した今こそ、日本軍「慰安婦」問題を解決させる法律を早期に成立させましょう。


☆☆署名ページ☆☆

碧猫さんのエントリ『日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める 緊急署名に賛同します

("Gazing at the Celstial Blue" - Nov. 19, 2009)

在特会が女性に罵声と暴力を加える


在特会会長 桜井誠氏の言い分はこうだ(氏のブログ『doronpa の日記』より引用。)

◆ 教会前で整然と抗議活動を展開する我々を前に、スペイン系と思われる白人女が通り過ぎながら隊列に中指を突き立てながら「fuckyou」を浴びせた。米国ならば犯罪として処罰される言葉「死ね!クダバレ」に匹敵する禁句であり、身柄を拘束して人民裁判にかけなければならない。

◆白人女を拘束しようとしたが警察に阻止され、その女は身柄の安全を保証されながら、反日の権化・聖イグナチオ教会にまんまと逃げ込んだ。

『白人女』などと書いている時点でもうアレなのだが、"Fuck you !"と叫んだくらいで犯罪として処罰される米国なんてのは存在しない。それに、『身柄を拘束して人民裁判』って何ですか?


当該女性がJapan Times にその時の様子を交えた読者の声をよせているがそれを読むとどうも在特会や主権を回復する会のほうから先にこの女性に「日本から出て行け!」と罵声を浴びせ、女性が言い返したら、ゲンコツやメガホンで殴られたとのことである。警備にあたっていた警察の素早い行動で、この女性はそれ以上の被害にあわなくてすんだ。

"These brave men in uniform of this country stand up to the uyoku on a regular basis. Why can't anyone else?

制服に身を包んだ彼ら勇敢なこの国の男性たちは日頃からが敢然とこのウヨクに立ち向かっている。ほかの人はなぜ立ち向かえないのだろうか。


在特会は理由はなんであれ、女性を言葉で侮辱し暴力を加えるという赦されない行為を働いているにもかかわらず、それらには触れていない。彼らの標榜する『行動する保守』の「行動」には暴力も含まれていると受け止めれられても仕方がないだろう。

それに、カトリック教会と記事を乗せたJapan Times を「反日組織」として、なぜかカトリック教会ではなく"Japan Times"に抗議をしようと計画しているのが腑に落ちない。


◇関連ブログ記事
反日運動とキリスト教団体 (せと弘幸blog『日本よ何処へ』、2009年10月29日)


【10月30日追加】
在特会がまた何かやらかすそうです (『捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!』)

"THE FACTS"組の2009衆院選挙結果


2007年6月26日に米下院で可決された「慰安婦をめぐる対日謝罪要求決議H.Res. 121)」の阻止を目論んで米有力紙"Washington Post" に掲載された新聞広告"THE FACTS" では多数の自民党民主党の国会議員が賛同者として名を連ねた。

彼ら"THE FACTS" 組の議員における2009年8月30日に行われた衆議院議員選挙のの当落状況を一覧にしてみた*1


*2


これ以外にも、大阪14区では長尾敬氏が当選している*3民主党には彼らのほかにもアジア太平洋戦争における日本軍の戦争犯罪を直視しない議員がいるかもしれない。また、民主党は「慰安婦」に対する謝罪や賠償などを法案として通すと言っていたが、今回の選挙のマニフェストでは解決を目指すとしながらも明記を避けたのも気になる。

わたしたちは、民主党社民党共産党がこの法案を早期に提出し、国会の責任において1日も早く可決するよう注視し、圧力をかけていかなければならない。

*1:(2009年8月31日 14時11分 15時44分 アップデート)

*2:民主党泉健太氏(京都3区・当選)については、『私としては広告に賛同したり、署名に応じた認識が全く無かったために経緯を含めて調査をしてまいりましたが、結果的には、当方の手続きの誤りによって署名賛同者に含まれてしまったことが明らかになりました。(衆議院議員 泉ケンタの活動報告 - 2007年8月2日)』とのことですので、打消し線を施し、調査の対象から外しました。

*3:長尾氏の「慰安婦」問題に対する考え方は拙ブログエントリ『出色のトンデモ』参照。

もう一つのヒロシマ:挺身隊女学生とRAA

女子挺身隊であった10数名の女学生が、大軍港・広島県呉にある兵器工場の宿舎に寄宿していた。1945年8月6日、原子爆弾が彼女たちの家族の命を奪い、実家が破壊されたため、彼女達は戦争孤児になっていたのある。(広島に原爆が投下されてまもなく、宿舎にいたある女学生の姉妹、モモヤマ・チカコさんは、広島から徒歩で呉まで来たが、被爆が原因で工場の門の前で倒れ、息を引き取った。)女学生たちは帰る家がなかったため、宿舎に寄宿し、工場経営者一家の家事をしていた。

ある日、上記のヨネヤマが工場に現れ、工場経営者に砂糖何缶と外国産タバコ数箱を渡した。その後、工場経営者がヨネヤマを宿舎へ連れて行くと、ヨネヤマは女学生たちにある「仕事」(ヨネヤマが川崎市の女学生に話したの同じ「仕事」)のことを話し、女学生たちはトラックに乗せられて連行された。

女学生たちは、まず、どこかわからない場所にある家屋に連れ込まれて、数名の米兵に輪姦された後、再び同じトラックに乗せられ別の場所にあった建物に連行され、別の米兵の一団にも輪姦された。最終的に、女学生たちは慰安所に連行され、占領軍の衛生兵から検査を受けた。数日後、全員が性病に感染していたことが判明した。

  (Stiffmuscle へなちょこ訳)


  (原文)

  A dozen high-school students, who were members of the Women’s Volunteer’s Corps, were staying at a dormitory of one of the arsenals in Kure, a major naval port in Hiroshima prefecture. They had become war orphans when, on August 6, 1945, their families had perished and their homes had been destroyed by the atomic bomb. (Shortly after the bombing of Hiroshima, the younger sister of one of the dormitory students, Momoyama Chikako, had made the trip from Hiroshima to Kure on foot, only to fall dead in front of the factory gate on arrival due to exposure.) As the students had nowhere to return to, they stayed at the dormitory, doing domestic work for the factory manager’s family. One day, the above-mentioned Yoneyama appeared at the factory and gave the factory manager tins of sugars and some packets of foreign-made cigarettes. Then the factory manager took Yoneyama to the dormitory. Yoneyama told the students about a “task” –the same “task” about which he had told the students in Kawasaki. They were put into a truck and taken away. First they were taken into a house in an unknown place where they were gang-raped by a number of GIs, then they were taken by the same truck to a building in another place, where they were again gang-raped by a different group of GIs. Eventually they were taken to a comfort station and attended by a medic of the occupation troops. A few days later all were found to be infected with V.D.


Yuki Tanaka. “Japan's Comfort Women (Asia's Transformations)”. Routledge. 2002. pp.139-140*1

特殊慰安施設協会(Recreation and Amusement Association: RAA)

敗戦後、大日本帝国政府によって作られた主に進駐軍向けの風俗営業施設または施設のある地域の通称。正式名称は Recreation and Amusement Association (RAA「保養慰安協会」)。



*1:原資料: 五島勉『黒い春―米軍・パンパン・女たちの戦後』、倒語社、1983年

あるロラの話

Lola Dolor, Survivor of Japanese WWII Rape Camp


時間がなくて、聞き取りや翻訳まで手が回りません。英語はわかりやすいと思います。


(ちょっと追記)

秦郁彦氏の著作より

 ヘンソンを含む二一人の元慰安婦の証言(前述)を見ると、彼女たちの身の上話は、ヘンソンと大同小異で、横田雄一弁護士の解説では他地域に比べて「被害者と軍とのあいだに民間業者などが介在する余地はまったくなかった。軍の移動中における偶然の遭遇、計画的と思われる女性の自宅への襲撃、作戦行動中の強制連行など、軍の末端組織が……有無をいわせず暴力的に女性を(駐屯地へ)拉致*1」しているのが特徴とされる。


秦郁彦慰安婦と戦場の性』、新潮社、1999年、194ページ)

 彼女たち(引用者注:フィリピン人元「慰安婦」たち)の申し立ての多くは事実を反映していると想像するが、逆に傍証のために死者たちを呼び戻す方法もない。…

  (中略)

 彼女たちが概しておおらかで、またカトリックの影響からか、日本人を許すと寛大な気持の人が多いと指摘する人もあり、いささか救われる思いだが、ヘンソンは著書の中で、「大儲けしようって魂胆ね」とののしられた経験も書いている。


秦郁彦慰安婦と戦場の性』、新潮社、1999年、196〜197ページ)


*1:

フィリピンの日本軍「慰安婦」

フィリピンの日本軍「慰安婦」