ええこといわはる!

ハードより受け入れるハート…明花さん入学 荒井・奈良県知事が祝福

(読売新聞 関西発 - 2009年7月24日)

 脳性まひで車いす生活を送る奈良県下市町の谷口明花(めいか)さん(12)が、町立下市中の就学通知書を渡され、正式に入学が認められたことについて、同県の荒井知事は23日の定例記者会見で、「本当に良かった。人がお手伝いや工夫さえすれば、どこでも住めるようになるのが良い社会」と話した。

 同町は、バリアフリーが整っていないことを理由に入学を拒否していたが、荒井知事は「(健常者と障害者が共に暮らす)ノーマライゼーションにはハード整備よりも一般の人の気持ちが大切だと思った」と述べた。

論破より先にすることがある 3


桜井誠氏はご自身のブログ『Doronpaの独り言』の7月27日付のエントリでこう言っている。

慰安婦という名の「売春婦」を「日本軍に強制連行された可哀想な性奴隷」などとねつ造歪曲して声高に叫び、日本国民へいわれなき罪悪感を植え付けようとしているだけではなく、つい数か月前までランドセルを背負っていた年端もいかない子供たちに「強姦」「売春」「性奴隷」などを教え込もうとする行為は、子供への性虐待以外の何物でもないと断じます。

彼は、ご自分の著書『反日韓国人撃退マニュアル』(晋游舎、2009年)の中で朝鮮人男子の強制連行について「…正しくは「徴用」のこと」であり「悪いイメージを植え付けるために、戦後になって朝鮮人がつくった造語である。(69ページ)」と主張し、従軍慰安婦についても「…「慰安婦」に「従軍」という言葉を加えることで「日本軍に強制連行された性奴隷」と誤解させることを狙った、反日プロパガンダのための造語(77ページ)」と述べている。それなら、そんな敵のプロパガンダ用語などをわざわざ使わずに、「慰安婦の徴用などなかった」と主張すればよいだろう*1


中学生に「慰安婦」のことを伝える理由、教える理由はこれ↓



1925年に当時の日本政府が批准した『婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約』では21歳未満を児童つまり子どもと規定している。日本政府は本条約の植民地への適応を行わなかった*2が、朝鮮における公娼制の下限は満17歳であり、上図で16歳以下に限ってみたとしても16歳以下の元「慰安婦」は89名、全体の51.5%に及ぶ。

この傾向は、韓国を含めたアジア各国の元「慰安婦」でもみてとれる。以前のエントリで『DAYS JAPAN』2007年6月号の『特集「慰安婦」100人の証言』という記事を基に描いたグラフがあるのでそれを再掲する。


「年端もいかない子供たち」が「強姦」され、「売春」を強要され、日本軍の「性奴隷」を強要されたのだ。
安倍元首相の言うところの「狭義の強制性」の有無など全く重要ではない。
慰安婦」と言う言葉自体が実態を表していないのだ。

日本軍の性奴隷制―日本軍慰安婦問題の実像とその解決のための運動

日本軍の性奴隷制―日本軍慰安婦問題の実像とその解決のための運動


*1:もっともそう主張したところで間違いである。韓国人元「慰安婦」の場合、国民徴兵令で公式にに徴用されたケースは極めて少なく、女子挺身隊で徴用されて慰安婦にされたケースが数例確認されているが、この中には女子挺身隊の名簿に名前が記されているケースが複数ある。

*2:以前は、海外に渡る船舶の上は日本領土だから条約違反だという説が有力であったが、最近は、慰安所のシステム自体が軍中央、日本政府の政策であったことから条約自体に違反しているという説が優勢である。

論破より先にすることがある 2


ひきつづき、「韓国人の嘘・捏造を完全論破!」と豪語する桜井誠反日韓国人撃退マニュアル』(晋游社、2009年)から、「慰安婦」についての記述を引用し検討を加えてみたい。

 日本軍に強制連行されたと主張する自称元「従軍慰安婦」の証言も、黄錦周【*5】のように聞くたびに違う内容になったり、どう考えても嘘としか思えないもの【*6】だったり、証言と呼ぶに値しない虚言ばかりである。


【*5】黄錦周
自称元「従軍慰安婦」として数々の証言を行っている。「一七歳のとき、吉林省慰安所に連行された」「一八歳のとき、村から娘を出すように言われ、ソウルの工場で働くと思っていたら慰安所へ」「一九歳のとき、日本軍にむりやり慰安所へ連行された!」などと、証言のたびに話が変ることで有名。

【*6】
山田盟子『女性たちの太平洋戦争』(朝日新聞社)で紹介された自称元「従軍慰安婦」の証言では、「日本軍のクリスマス休暇には一日数十人の相手をさせられました」というものがある。言うまでもないが、日本軍にクリスマス休暇はない。


(桜井書、88ページ下段(【*5および*6】)および89ページ、不適切な表現は引用者が削除もしくは訂正した。)


まず、黄ハルモニの証言に疑義を呈したり、自称呼ばわりするのなら、それ相応の説得力のある根拠を参照した文献などとともに提供すべきである。その意味では、【*5】に示された3つのカッコづけされた文章はどれも引用元が記されておらず、読者は著者の主張が正しいのかどうか確認することができない。そのような確かな根拠に基づかない文章をいくら並べ立てても「証言のたびに話が変る」という結論が正しいかどうかも、やはり、確かなものかどうか判断することはできない。また、それ以外の部分、つまり、証言全体を読んでみたいという思いも必要も当然出てくるだろう。

ちなみに、著者の桜井誠氏は「慰安婦」関連の市民活動を率いておられるとのこと。読者のみなさんの中で桜井氏に出会うことがあったら、ぜひ、これら3文の引用元について質問されるとよいと思う。きっと明確な回答が即座にいただけるはずである。


また、【*6】の山田盟子『女性たちの太平洋戦争』(朝日新聞社)という書籍は見つからない。ネットで調べても、図書館で検索しても、本屋に問い合わせても、該当する本はなかった。これもきっと桜井氏が明確な回答を即座にしてくれるはずなので、彼と直接会う機会を持たれた方は、お訊ねになるとよいだろう。

ちなみに、山田盟子さんの著作で類似の題名をもつ本が2冊あり、朝日新聞社発行でも類似の題名の本が2冊ある。そのすべてに直接目を通したが、わたしが確認する限りにおいては、「日本軍のクリスマス休暇には一日数十人の相手をさせられました」という」記述自体が見当たらなかった


ただ、興味深いことに、朝日新聞が黄錦周ハルモニを取材した特集記事『元従軍慰安婦 黄錦周の世界』(1〜4、朝日新聞(夕刊)1995年7月24日〜27日)に以下のような記述があった。

三年目からは慰安所で下の兵卒の相手さ。あとは年々下がっていく。多い日で十五人ぐらい。クリスマスは二十人近かったね。カネは一度ももらってないさ。


(『元従軍慰安婦 黄錦周の世界 2』、朝日新聞(夕刊)、1995年7月25日。強調は引用者。)

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証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち

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Silence Broken: Korean Comfort Women

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論破より先にすることがある 1

桜井誠反日韓国人撃退マニュアル』(晋游社、2009年)という本を買った。


何でも「韓国人の嘘・捏造を完全論破!」らしい。

慰安婦」に関する章があったのでツラーっと読んでみた。


あれ?あれ?あれれれ? こんな内容で論破なんて無理!

だって、間違い間違い間違いの連発だもん(笑)


いちいちほじくり返そうと思うが、ちびりちびりとやっていく。



とりあえず、どうしても解いておかないといけない誤解について書いておく。

…文玉珠という自称慰安婦【*3】という自称元「従軍慰安婦」が起こした貯金の返還請求裁判だ。戦時中にビルマミャンマー)で慰安婦として働いていたとき(一九四三〜一九四五年)、売春業で貯めた二万六一四五円を郵便貯金軍事郵便貯金にしていたが、戦後の混乱期に通帳を紛失してしまったという。その返還を求めて一九九二年に裁判を起こした。*1


(不適切な表現は引用者が削除もしくは訂正した。以下同様。)


文玉珠ハルモニは1992年4月13日、『アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件』に原告として加わったけれど、この訴訟において彼女は自分が貯めた軍事郵便貯金の返還を求めてはいなかった。この訴訟の「請求の趣旨」*2は以下の通りであるからである。

一、被告*3は原告らに対し、各金二千万円を支払え。
ニ、訴訟費用は被告の負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言を求める。


実は、文玉珠ハルモニは軍事郵便貯金の返還を求める訴訟を起こそうとしていたのだが、それは実現することなく、彼女は1996年10月26日に亡くなっている。ちなみに、桜井書では上記【*3】の説明で文ハルモニの死去について「一九九七年に死去。*4」と記述しているが誤りである。


また、太平洋犠牲者遺族会の裁判に関するこの記述もおかしい。

 この河野談話が出された後、太平洋犠牲者遺族会【*2】が元「従軍慰安婦を自称する朝鮮人の元売春婦などを担ぎ上げて、日本政府に賠償を求めて裁判を起こした。しかし、二〇〇四年一一月二九日の最高裁判決で原告敗訴が確定し、日本政府に賠償の義務が存在しないことが確定されたのである。*5

この「太平洋犠牲者遺族会」が起こした訴訟が上記の『アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件』で、訴訟日は、第一次が1991年12月6日、文ハルモニも原告となった第二次が1992年4月13日であり、いずれも、河野談話発表(1993年8月4日)以前である。ちなみに、上記引用中の【*2】の解説で太平洋犠牲者遺族会が「一九九七年には韓国で社団法人として認可された。*6」とあるが、これは1992年の誤りである*7


慰安婦」の証言の年数の違いをつついて証言自体の信憑性に疑義を呈する手法を桜井氏も用いているが(後日、別エントリで紹介予定)、ご自分の誤記もしくは誤認について先に訂正なされたほうがよいし、そのようなことをご自身がなさっている(故意か無意識かは別として)事実を深く考慮の上で「慰安婦」たちの証言を再検討されることを強くお勧めする。


なお、文ハルモニの訴訟については以下のような文章がネット上で多く散見される。

平成4年に韓国の「元従軍慰安婦」文玉珠が起こした、「戦時郵便貯金の払い戻し請求訴訟」別名「下関裁判」というのがあった。
文玉珠は戦時中にビルマで「従軍慰安婦」をして貯めた26,245円を郵便貯金にしていた。その中から5,000円を朝鮮の実家に送ったが、敗戦後の混乱の中で貯金通帳を紛失してしまった。昭和40年に貯金は失効した。
それを27年後の平成4年になって、貯金の払い戻しを国に要求したのである。*8


文ハルモニは軍事郵便貯金の払い戻しを求める訴訟を起こす前に亡くなられたので、当然、『「戦時郵便貯金の払い戻し請求訴訟」別名「下関裁判」』などという訴訟は存在しない


同様の内容で以下のようなものもある。

1991年12月、金学順(キム・ハクスン)、金田きみ子(仮名)らと共に日本政府に謝罪と補償を求めて提訴。2004年11月最高裁棄却により敗訴確定。(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟)
1992年に日本の郵便局を相手に26,145円の貯金返還の訴訟を起こす。2003年3月最高裁上告棄却により敗訴確定。(戦時郵便貯金の払い戻し訴訟(別名:下関裁判))
1996.10.26死去。*9


2003年3月に最高裁で上告を棄却された「慰安婦」関連の裁判は、『釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟「関釜裁判」 』であり、この裁判の地裁判決を「下関判決」と呼ぶ*10ことから混乱が生じ、尾ひれをつけた形で広がり、上記のような半嘘がネット上に広まったものと推測される。


*1:桜井誠反日韓国人撃退マニュアル』(晋游社、2009年)、78ページ

*2:http://www.awf.or.jp/pdf/195-k1.pdf 、4ページ

*3:引用者注:日本国

*4:桜井、78ページ下段

*5:同書、84ページ

*6:同書、84ページ下段

*7:http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/izoku_kai.html を参照

*8:夢空廊漫遊(陽炎)http://blog.livedoor.jp/aramar88/archives/51247022.html

*9:http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/23/ 参照

*10:http://www.kanpusaiban.net/toha.htm 参照

日本政府はどうしようもない 2

UN - Japan Tells Women’s Anti-Discrimination Committee Efforts to Meet Treaty Obligations Bearing Fruit, but Progress Slow by International Standards (ISRIA - July 24, 2009)

Experts also called for more action to make amends for the Japanese enslavement of foreign women as sexual “comfort women” during the Second World War. Dealing with that legacy head on, including a strong apology and direct reparations to victims, could help improve attitudes towards women among Japanese society itself, they suggested.……
《Stiffmuslce なんちゃって訳》

また、複数の専門家は、日本が二次世界大戦中に性の「慰安婦」として外国人女性を奴隷化したことに対する償いの行動をさらに取るよう求め、被害者たちへの明確な謝罪と直接的な補償を含めた未解決の課題に真摯に取り組めば、日本社会自体の女性に対する意識の改善を促進することにもなるであろうと示唆した。……


(snip)


They*1 said that the damage done to “comfort women” had been acknowledged by the Government, and the matter had been settled legally by the Treaty of San Francisco, after the war. Additionally, assistance to surviving “comfort women” was being provided.……

日本代表団は、日本政府は「慰安婦」が受けた損害を認識してきており、この問題は戦後のサンフランシスコ条約で法的に解決済みであると述べ、加えて、存命中の「慰安婦」への援助を行っていると述べた。……


(emphasis added)
(強調は引用者)

*1:the Japanese delegation

日本政府はどうしようもない

女性差別放置する日本(2009年7月18日 - しんぶん赤旗

国連の女性差別撤廃条約にもとづく進ちょく状況を検討する女性差別撤廃委員会の第44会期会合が20日からニューヨークの国連本部で開かれ、23日には、日本政府の報告が6年ぶりに審査されます。

前回の2003年の審査では、日本政府に対し、差別撤廃の遅れを懸念し、是正を促す勧告が出されています。今回も、勧告に実態を反映させようと、日本から80人を超えるNGO(非政府組織)代表が審査を傍聴します。NGOの意見表明の場も設けられています。20日には、女性差別撤廃委員会主催のヒアリングがおこなわれ、日本のNGOも発言します。22日にはNGO主催の昼食会で委員にアピールします。


◇上記記事の『女性差別撤廃委員会 第44会期会合』のページがこれ(英文)
 Committee on the Elimination of Discrimination against Women 44th session (20 July - 7 August 2009)

◇日本政府が提出した報告書はこれ(英文、PDFファイル)
 Sixth periodic report of States parties:Japan (CEDAW/C/JPN/6)


この日本政府報告書の中で、『慰安婦』について述べられているのが「4.Asian Women's Fund」 の項(パラグラフ91〜97;30〜31ページ)。

内容は、『河野談話』や、その元になった政府調査への言及すらなく、ただひたすら、アジア女性基金で元『慰安婦』に償い金を払った、政府の金を使って元「慰安婦」への健康福祉事業も行ったと言うだけ。


おまけに、この項の最後の文であるパラグラフ97で日本政府はこんなことを言っている。

97. Although the AWF was dissolved on 31 March 2007, the Government of Japan will continue to endeavour for the enhancement of public awareness concerning the efforts made by Japanese people and government through the AWF.


(Stiffmuslce:なんちゃて訳)
97. AWF(アジア女性基金)は2007年3月31日をもって解散しましたが、日本政府は引き続き日本国民および日本政府がAWFを通じておこなった取り組みに対するpublic awareness*1の向上に努めてまいります。

慰安婦」問題に関する事実を国民にさらに周知するよう努力するなら意味はわかるが、「アジア女性基金」の実績を周知する必要はどこにあるのだろうか?問題の本質をすり替えようとしているのが丸わかり。誠実さのかけらもない。


こういうことを繰り返しているから、国際社会の信頼をなくしていくんでしょうが(怒)


*1:訳者注:public が、日本国民や日本社会を指してるなら意味がわからない。また、国際社会のことを指しているのだとしても、意味がわからない。曖昧すぎる。

正式入学おめでとう!

車いすの明花さんに、中学入学を正式通知 奈良・下市町 (朝日新聞 - 2009年7月21日)

車いすで生活を送る奈良県下市(しも・いち)町の谷口明花(めい・か)さん(12)が、希望した町立下市中学校への入学を拒否された問題で、町と町教育委員会は21日、就学通知書を両親に渡し、明花さんの入学を正式に認めた。これを受け、明花さんと両親は入学許可を求めて4月に奈良地裁に起こした訴えを取り下げた。

明花さん、入学おめでとうございます。

女子生徒の入学認める=中学入学訴訟問題で−奈良(時事 - 2009年7月21日)

母親の美保さん(45)によると、仮入学を認められた明花さんは今月3日から1学期の終業式の17日まで休まず登校。就学通知書を受け、「今度から仮じゃないんだね」と喜んだという。明花さんは取材に対し、「本当の下市中の生徒になることができてうれしい。これからしっかり勉強して友達もいっぱいつくりたい。クラブは英語部に入りたい」と話した。

勉強やクラブ活動をがんばってください。友だちと楽しい時間をいっぱい共有して、最高に楽しくて、有意義な学校生活を送ってくださいね!応援してます!